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お稲荷様はなぜ狐なのか?その由来についての四方山話。

我が家にはお稲荷様専用の神棚があります。
本日はお稲荷様について、ちょっと四方山話でもしようと思います。

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)様、一般的にはお稲荷さんとお呼びした方が親しみやすいかもしれません。
記紀神話の両方にウカ様は登場いたしますが、古事記の世界ではスサノオ様がクシナダヒメ様の次に結婚されたカムオオイチヒメ様の子供として(古事記では宇迦之御魂神と表記)、日本書紀の世界では、イザナギ様とイザナミ様の間に生まれた子供(日本書紀では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と表記)とされております。

実はウカ様には神仏習合の過程でいろんなお名前やお姿があり、また、古事記や日本書紀の世界の中では性別について特に言及はされてはおりません。しかしながら、農耕の神ゆえに、豊穣という面があるため、どちらかといえば女性(女神)としての側面が強いという説が有力なようです。

でも、今日では「お稲荷さん」という名前で親しまれております。
そもそも、なぜお稲荷さんと呼ばれるのかご存知でしょうか。

紐解いていくと、いろいろあちこち分岐していきますので、なるべく寄り道をせずに説明いたしますね。

ウカ様の「ウカ」は「ウケ(御饌のこと、御饌はミケと読み、食べ物を表す言葉)」に通ずるとされました。そのため、ウカ様は食物の神様とされています。

日本の食べ物といえば…そう、日本人のソウルフード!お米(稲)ですよね。

日本は古来より米を主食としている民族です。その稲作に関連して、稲が生じることを稲生り(いねなり)とし、そこに稲を荷って(担って)神に感謝し捧げる様子と結びつけて「稲荷(いなり)」という漢字を当てたのではないかという説があります。
お稲荷さんという名前は、その名前のとおり、お米から来たものです(^-^)

また、お稲荷さんというと、なぜだか狐のイメージがパッとすぐに出てきますよね。

お稲荷さんとは、ウカ様の事でした。それでは、ウカ様は狐の姿をした神様なのでしょうか?
いいえ、ウカ様は狐の姿ではないんです。ウカ様は人間の女性の姿で描かれているのですよ。(実は老翁の姿の場合もありますが、ここでは割愛します)

神様にはですね、それぞれ自分に仕えてくれる専用のお使いがいらっしゃいます。お使いは動物の姿をしており、神使(しんし)と呼ばれています。
例えば、狛犬だったり、狼だったり、兎だったり、牛だったり、蛇だったりします。
そうそう、鯰や鰻、亀もいたりするんですよ。多種多様ですよね(゚Θ゚)

狐は、ウカ様自身ではなく、実はウカ様の神使なんですよ。
ではなぜ、ウカ様の神使は狐なのでしょうか?

ウカ様は食物や農耕の神様なのですが、ウカ様とは別に、元々土着信仰として「田の神」という神様がいらっしゃいました。この方も稲作を守護される神様です。

田の神様は山神です。山神とは、山に住まう神様のことを指しますが、山そのものを神様と言い表す場合もあります。

田の神様は、春に山から下りてきて、農耕を守護し、秋の収穫祭後に山へ帰ると農業に携わる人々から信じられていました。
春に山から里へ下りてきて、冬を迎える前に山へ帰る…実は野生の狐の生態も、これにぴったりと符号するものだったんです。

また、狐は雑食であるため、農作物の害獣である鼠等や害虫も、自身の獲物としていました。
その姿はまるで、害をなすものたちから、農作物や田を守るように見えたのかもしれません。

そんな狐の様子を見た当時の日本人は、狐が田の神様のお使いだと考えたのではないかと推測できるのです。

田の神様以外にも、農作物(稲作)の神様はたくさんいましたが、やがては稲荷に吸収され稲荷信仰として発展をしていきます。
元々は田の神様のお使いとして信じられてきた狐が、そのままウカ様の神使とされたのは自然な流れだったのかもしれません。

また、稲作とは関係なく、日本には古くから狐という動物には霊力があるとする狐信仰というのもありました。
狐には人を化かす不思議な力があると言われていたり、またその霊力を使って人に予言をする役目があったと信じられていたんですね。

確かに、お狐さま、というと青白い炎が火の玉のように周りにふわふわ浮いているところもイメージとして出てきます。狐火、と呼ばれていますよね。

余談ですが、狐火といえば東京都北区岸町にある王子稲荷神社が有名だそうです。
関東の狐たちは毎年大晦日の夜に王子稲荷神社の近くの木に集まり、そこで正装に着替え、王子稲荷神社に行列をなして初詣に行くそうです。
その時にたくさんの狐火が列を成している様子が見えれば、その年の農耕は豊作とされ、逆に少なければ凶作である、という吉凶占いに使われていたと言われているそうですよ。

狐火の行列、暗闇の中にまるで提灯行列のようにぼや~っと淡い火がちらちらと浮かんでいる…。
なんだか怖いもの見たさで、見てみたいような…やっぱり見たくないような、そんな心持ちです。

このように、狐という動物に対して、日本人は古くから得体の知れない何か特別なものを感じていたのだと思います。
そのため、お狐様と言われたとき、どうしてもそちらに意識がいってしまうのではないでしょうか。

日本における神様への信仰はアニミズム主体のため、偶像崇拝という側面が希薄です。
神社に神様を降ろすための鏡などの憑代(よりしろ)はあったとしても、飽くまでもそれ自体が神様ではなく、むしろ神様は空気みたいなものとされていました。
目には見えなくても、耳に聞こえなくても、どこにいるのか分からなくても、神様は万物に宿っている、そこにある、というものです。
その代わり、直接的なコンタクトが難しいその神様の言伝を携えて、お使いが来るというエピソードは昔からよくあります。

注意深く見ると…例えば神社の中には神様以外の形は逆にものすごくあるんです。
例えば神使である狛犬もそうですよね。また、神使に限らず、柱の装飾として施されていたりする象もそうですし、手水舎の龍もそうです。
いろんなものがありますよね。
正直な事を言えば、神様よりもむしろそっちの方が記憶に残る…ということの方が多いと思います。

そうやって考えていくと、とりわけ稲荷神社は、狐で溢れかえっている場所ではないのでしょうか。
ちょっとしたお宮でも、中を覗けばたくさんのお狐さんの像が奉納・安置されていたりしますし。
…狐って、集団でいると、本当にインパクト強いですよね。

そして、そのインパクトが、私たち日本人の古い古い記憶の中にある狐信仰と結びつく。
そのため、お稲荷さん=ウカ様ではなく、お稲荷さん=お狐様という印象になってしまうのは、必然ともいえることなのではないかなぁと個人的には思っております。

ちょっと長くなりましたが、お稲荷さんについての四方山話でした。