祝詞とは、神様に捧げる言葉のことを指しています。
大祓詞は、言霊を司っている天児屋根命という神様を祖に持っている中臣氏が、古代より受け継いできた祝詞と言われています。
天皇とその百官が、人々が犯した罪や穢を祓い清めるための国家行事「大祓式」を、毎年6月と12月末日に行なってきましたが、その際に中臣氏によって唱えられてきたのが、この大祓詞となります。
当初は国の儀式でしたが、時代を下るにつれて民衆の間にも清めの行事として、大祓詞と共に普及していきました。
千年の時を越え、それこそ数え切れないほど多くの人々に唱えられてきましたので、この大祓詞には強力な浄化の言霊の力が宿っていると言われています。
そもそも大祓詞の内容が、日本の天の神様・地上の神様たちが総出で、人々の罪や穢れを根こそぎ引き受け、人の手が届かないように遥か彼方へ持ち去り消し去ってしまうという、大変壮大なものです。
そのため、何となく心身が重いなぁと感じたり、何となく調子が悪いなぁと感じるという時に、とてもお勧めの祝詞ですよ。
最近拝読致しました「開運!まいにち神様 大祓詞で最強の「お清め」」の著者である立花 大敬氏も、大祓詞は、神様の世界とつながることができる強烈な霊的エネルギーを持った祝詞であると本の中で記しています。
以下に、大祓詞の全文と意訳を掲載致します。
意訳ではありますが、内容を知っていれば大祓詞への理解が深まり、イメージが想起しやすくなりますので、祝詞を唱える時により実感を持てるかと存じます。
神様方の壮大な清め祓いごととなっておりますので、是非合わせて御覧くださいませ。
高天原に 神留り坐す 皇が親 神漏岐 神漏美の命以ちて
八百萬の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて
我が皇御孫命は 豊葦原の瑞穂の國を 安國と 平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき
此く依さし奉り國中に 荒振る神等をば
神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて
天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て
高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して
安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が
過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪許許太久の罪出でむ
此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして
天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ
國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて 聞こし食さむ
此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く
大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く
彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば
荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ
此く加加呑みてば 氣吹戸に坐す氣吹戸主と言ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ
此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
続きまして、大祓詞の現代訳を掲載いたします。
高天原(天上の神々の国)にいらっしゃる、皇祖神の御命令によって、八百万(数多く・たくさん)の神々が一堂に集まり、大国主命の国譲りの件、天孫邇邇芸命の豊葦原瑞穂の国(日本)への御降臨の件などが議題としてあげられ、幾度も議論が重ねられました。
皇祖神 とは?
親神様のことです。ここでは、神漏岐命と神漏美命の事を指します。
しかし、この二柱については、神漏岐命を高御産霊神とし、神漏美命を神産霊神とする説、神漏岐命を伊邪那岐神とし、神漏美命を伊邪那美神とする2つの説があります。
こうした神々による会議・相談の結果、大国主命は国を譲る事を快諾せられ、皇御孫命(邇邇芸命を指す)の祖母である天照大御神は、子々孫々に渡って豊葦原瑞穂の国を平和で穏やかな国として統治しなさい、と皇御孫命にお任せになられたのです。
しかし、豊葦原瑞穂の国には、邇邇芸命に素直に従う神もいれば、そのご威光に従わずに荒れ狂い暴れ回る数多くの荒々しい神様等も居られたので、ある時は説得にあたり、それでも御従いになられない場合は、実力行使で排斥する行為にも出られました。
こうした結果、荒ぶる神々だけでなく、それまで言葉を喋っていた岩や樹、一片の草にいたるまで、その口を慎み大人しく命令に従うようになりました。
こうして、国土が平穏になったので、邇邇芸命は天の玉座をお立ちになり、沢山のお供をお従えになられて、幾重にも重なりたなびく雲を激しく千切るように掻き分け押し分け、高天原から日向の高千穂の峰に降臨されたのであります。
このようにして、天降りになられた邇邇芸命は、日本の国の四方八方隅々に至る迄、平和が行き届くよう「倭の国」を都と定められ、心を配られて御統治に当られました。
そのために、政治の拠点として、宮殿建設の計画が立てられたのです。
倭の国の中心にあたる場所に、地中深く穴を掘り、岩盤に宮殿の太く立派な柱をどっしりと差し立てられました。
また、屋根の上にはあたかも高天原に届くかのように、千木を大空高くそびえ立て、荘厳で立派な宮殿をお造りになり、天照大御神の御加護を受けて、宮殿にお入りになられたのです。
その宮殿の中で邇邇芸命が、朝も夜も、昼夜を問わず御政務に、御祭祀にとお励みになられたお蔭で、国内の政治は安定し、産業は目覚しく発展し、国民にも沢山の子供が生まれ人口は飛躍的に増加の一途を辿りました。
しかし、その一方で、犯罪を犯す者、争いを起こす者が増え、それは社会問題にまで発展したのです。
その犯罪の種類は、自然破壊の罪、人倫の規範を破る罪など数え切れないほど多くのものがありました。
様々な犯罪が発生したのを見かねた天津神は、地上に救いの手を差し伸べられました。
その方法とは、高天原の天照大御神が行われる天津神の神秘な儀式に則って、天津金木(神聖な硬い木)の根本と先端を切り取り、沢山の置物の上に並べ、天津菅麻の根本と先端を刈り断って、沢山の針のように裂きなさいというものでした。
そして、天津神が授けたきわめて効力の高い、神聖で完全な祓の祝詞を唱えなさい、と高々と宣言がなされました。
天津祝詞とは?
この箇所に、天津祝詞という言葉が入るので、「天津祝詞」という祝詞が別途挿入されるのではないか、という説があるそうです。
経本によっては、ここに「とほかみえみため」を挿入しているものもあります。
ですが、天津祝詞については諸説あるため確定は難しいとされているとのこと。
現代では、古来よりここは空白であり、大祓詞そのものが天津祝詞ではないか、という説が有力と言われているようです。
このように祓の祝詞を唱えたならば、天津神(天上の神)たちは、高天原の宮殿の岩戸(磐門、高天原の門の事)を押し開いて、天にかかる幾重にも重なり合った雲を、その御威勢で押し分け掻き分けて、その詞をお聞きくださるでしょう。
国津神(地上の神)たちは、高い山や低い山の頂上にお登りになって、立ち昇る雲や霧や霞を掻き払い、その詞が天に届きやすいように取り計らい、また国津神たちもその詞をお聞きくださるでしょう。
このようにして天津神・国津神がお聞き届けくださるならば、もう罪という罪はこの世には存在しないのだと、偉大なる宣言がなされるでしょう。
それはまさに、あたかも高い山から吹き降ろす強風が分厚く幾重にも重なり、どんよりと垂れ込めた雲でさえ吹き飛ばしてしまうように、朝夕の風が朝夕に立ちこめる霧を吹き払うように、大きな港に停泊している大きな船の舳先(船の先端)や艫(船尾)の綱が解き放たれ、錨を上げて大海原に押し放たれるかのように、向こう岸に生い茂っている沢山の樹木の根元を、焼いて鍛えた鋭い鎌で尽く薙ぎ払ってしまうかのように、もう残っている罪穢は無いのだと、あらゆる罪穢を一切残らず祓いに祓い清めに清められるでしょう。
こうして祓い清められた全ての罪穢は、高い山や低い山の頂上から勢いよく流れ落ちて、滝のある流れの速い川の上流にお住まいになられている瀬織津比賣と呼ばれる女神が、大海原に持ち去ってくださるでしょう。
このように瀬織津比賣によって持ち出された罪穢を、今度は人が近づけないほどの激しい流れの寒流と暖流が幾重にもぶつかり合って大きな渦潮がいくつも生まれるような荒海にお住まいの速開津比賣と呼ばれる女神が、その罪穢をガブガブと呑み込んでしまわれることでしょう。
このように速開津比賣によって呑み込まれた罪穢は、今度は海底にあって生命の息吹が発生するという
根の国・底の国(黄泉の国)へ通じる門(氣吹戸)を司る氣吹戸主といわれる神が、この世の根源の世界である根の国・底の国に、その氣吹によってフゥーっと息吹いて吹き払ってくださるでしょう。
このように氣吹戸主によって吹き払われた罪穢は、今度は根の国・底の国にお住まいの速佐須良比賣という女神が尽く受け取ってくださり、どことも知れない遥か彼方へ持ち去って封じてくださり、こうしてしまえば、さすがの罪穢も失われてしまう事でしょう。
このように、八百万の神様等があらゆる罪穢を、すっかり消滅させて浄化してくださるならば、この世界に罪という罪は一切ないという事です。
私どもが『祓え給え清め給え』と申し上げる事を、よくよくお聞き届けくださり、どうか私どもにお力をお授けくださいますようにと、天津神国津神を始めとする、八百万の神様等に慎んで申し上げます。
当ブログの意訳については、複数の書籍や見解を拝見した上で編纂しております。
そのため、正確な意味から遠ざかっている箇所がある可能性がございます。
なにとぞご了承下さいませ。
如何でしたか?
この機会に、是非あなたも大祓詞に触れてみて下さいませ!
ここまでお読みくださり、誠にありがとうございます。
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