皆さんこんにちは、管理人のかなえです。
令和元年を記念して、埼玉県所沢市にて新たな霊場が開場されたとお伺いし、先月初めに「所沢七福神めぐり」を行なってまいりました。
参考:所沢に7人の神様がやってきた!新年から縁起良く「七福神めぐり」開場
この記事では、所沢七福神めぐりについてと、合わせて「七福神信仰」や「七福神めぐり」についてお話しをしていきたいと思います。
七福神の由来、なぜ七柱なの?
七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとされる七柱の神様のことになります。
福の神がなぜ七柱とされたのかは諸説あるそうですが、元々「7」という数字は、七曜、七宝、七正などに見られるように「7」そのものが聖数とされ、それにならうのが自然だったのではないかと言われています。
また、画題の「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」にならったとの説、仏教の「仁王般若経(にんのうはんにゃきょう)」の受持品と呼ばれる部分に書かれている「七難即滅・七福即生(七難七福)」の語句と重なり世間に流布したという説、などがあるようです。
七福神信仰の成立、リーダーは恵比寿天と大黒天
七福神信仰の原型が成立したのは、室町時代中期以降といわれています。
まずは、もともと個別に信仰を集めていた「恵比寿天」と「大黒天」の二柱が、次第に並んで祀られるようになっていったそうです。
そして、この二柱を中心として、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、京都の北方にある鞍馬寺に祀られていた「毘沙門天」、また、画題として流行していた「布袋尊」や「寿老人」そして「福禄寿神」が加えられていき、これが七福神信仰の原型となったそうですよ。
人気争奪戦!?七福神メンバーの入れ替えは激しかった
現代では、七福神と言えば「恵比寿天」「大黒天」「福禄寿神」「弁財天」「寿老人」「布袋尊」とメンバーが固定されていますが、このメンバーで固定となったのは、江戸時代後期となるそうです。
それまでは度重なる入れ替えがありました。
まず、七福神の紅一点としてあまりにも有名な弁財天ですが、実は初期のメンバーではありませんでした。
元々、紅一点でいらっしゃったのは、日本神話の天岩戸伝説で有名な天宇受売命(あめのうずめのみこと)だったのです!
しかし、竹生島の弁財天社(現在は竹生神社)を中心とした弁財天信仰が流行すると、天宇受売命に代わり、弁財天が加えられるようになります。
なんだかアイドル……いえ、神様総選挙みたいですね汗
その他にも、福禄寿神と寿老人は本来同一の神様であったため、寿老人の代わりに、宇賀神や虚空菩薩、猩々とする場合もあったそうです。
また、時には寿老人に代わり、吉祥天も採用されていたため、時代によっては二柱の女神が肩を並べている七福神ということもあったそうですよ。
七福神めぐりは、江戸から流行したもの?
七福神に対する信仰は、主に京都において盛んだったそうですが、京都では祀られている各寺社を巡拝するという動きはなかったそうです。
それに対して、江戸時代の随筆「享和雑記」では、江戸で起こった「七福神めぐり」の記録が早くにみられるそうでして、江戸の影響を受けたのか、やがて京都でも七福神巡拝が起こっていったそうですよ。
江戸でも京都でも、巡拝先として選ばれたのは福神の霊験で有名な寺社よりも、参拝するのに便利な近隣寺社だったそうです。
七福神めぐりは、神々を尋ね歩くことで福に恵まれることを目的としています。
ですが、その一方で、「福は向こうからやってくるもの」という思想も根強くあったため、江戸時代に宝船に乗った七福神の絵が配られたことから、船に乗る七福神の姿が一般化したといわれてるそうですよ。
この絵を正月元日あるいは二日の夜に、枕元において寝ると良い夢を見られるというのは現代でも信じられていますよね。
七福神メンバーの紹介
それでは、現在の七福神のメンバーである、それぞれの福神さまとご真言についてご紹介したいと存じます。
恵比寿天(えびすてん)と真言について
恵比寿天(えびすてん)は、蛭子(ひるこ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、といった名前を持つ、七福神の中では唯一の日本古来の神様です。
漁師からは豊漁の神として、農家からは豊作の神、また商人からは商売繁盛の神として信仰を集めています。一般的には左手に鯛、右手に入梅竿を持つ姿で表されます。
恵比寿天の真言ですが、「オン・インダラヤ・ソワカ」となります。
なぜか韋駄天の真言が恵比寿天の真言となっており、その由来を調べてみてもその因果関係ははっきりしませんでした。(もしルーツをご存じの方いらっしゃいましたら、お教えくださいますと幸いです……!)
大黒天(だいこくてん)と真言について
大黒天(だいこくてん)は、元はインドのヒンドゥー教の神様シヴァの化身であるマハーカーラという神様です。
破壊や戦闘を司っていますが、インドでは厨房や食堂の神様ともされていました。(腹が減っては戦はできぬ……なのでしょうか?)
マハーカーラは、やがて密教に取り入れられて日本に伝えられた後、大国主命と習合します。
大国主命は事代主神の父神のため、その影響もあったのか、次第に恵比寿天と大黒天がセットで祀られるようになりました。
一般的には、米俵の上に乗り袋を担いで打ち出の小槌を持った柔和なお顔をされた姿で表されます
財宝をもたらし、開運招福の神様とされています。
大黒天の真言は「オン・マカキャラヤ・ソワカ」となります。
福禄寿神(ふくろくじゅしん)と真言について
福禄寿神(ふくろくじゅしん)は、中国の神様です。
道教において、南極星(老人星、寿星とも)の化身とされており、福(子孫に恵まれる)、禄(富に恵まれる)、寿(長寿に恵まれる)の三徳を具現化したものとなります。
そのため、子孫繁栄・財産・健康的な長寿をもたらす神様とされています。
一般的には、長い頭に長い髭を生やして、経巻を下げた杖を携えている姿で表されます。
後述する、寿老人と同一の神様とされています。
福禄寿神の真言は「オン・マカシリ・ソワカ」となります。
弁財天(べんざいてん)と真言について
弁財天(べんざいてん)は、元はヒンドゥー教の河の神様であるサラスヴァティーです。
水神ですが、水に関係することから、農作物の神様としての一面も持つようになり、また、河のせせらぎから音楽の神様ともされたため、次第に芸術・学問などの知を司るようになります。
仏教を通して日本に伝来すると、穀霊神であるとされる宇賀神や、水神である市寸嶋比売命と習合し、学問・技芸・財宝の神様となりました。
一般的には琵琶を抱えバチで演奏する姿で表されますが、弁財天には戦に勝利をもたらす戦勝神の性格も持っているため、それぞれに武器を携えた八本の腕を持つ姿で表される場合もあります。
弁財天の真言は「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」となります。
寿老人(じゅろうじん)と真言について
寿老人(じゅろうじん)は、前述の福禄寿神と同一とされ、南極星の化身である中国の神様です。
そのため、時代によっては寿老人の代わりに猩々などが加わることもありました。
一般的には、杖を携え、不死の霊薬が入っているとされる瓢箪や、不老長寿の象徴である桃を持っている姿で表されます。
出世、長寿、財宝をもたらすとされています。
寿老人の真言は「オン・バザラ・ユセイ・ソワカ」となります。
布袋尊(ほていそん)と真言について
布袋尊(ほていそん)は、実は6世紀後半の中国で実在されたとされる禅僧です。
本名は契此(けいし、かいしとも呼ばれる)とされ、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられたそうです。
中国各地を放浪し、吉凶を占って福を施したと伝えられており、一般的には、太鼓腹で大きな袋を背負った姿で表されています。
また、布袋尊は弥勒菩薩の化身ともされており、福徳円満、よい縁をもたらす縁結びの神様とされています。
布袋尊の真言は「オン・マンタレイヤ・ソワカ」となります。(弥勒菩薩の真言と同じになります。)
毘沙門天(びしゃもんてん)と真言について
毘沙門天(びしゃもんてん)は、元はヒンドゥー教のクベーラという神様です。
もともとヒンドゥー教では財宝の神様とされていたため、戦闘的な性格はありませんでしたが、中国に伝わる課程で武神信仰が生まれたそうです。
そのため仏教に取り入れられると、仏教を守護する神様となりました。
なお、北方を守護する多聞天(たもんてん)の異称が毘沙門天となります。
平安時代、朝廷による東北地方への進出が始まり、北方の守護神である毘沙門天が王朝守護、国境守護の軍神として認識されるようになったそうです。
京都の北方にある鞍馬寺に毘沙門天像が安置されたため、鞍馬寺は毘沙門天信仰の中心になったそうですよ。
一般的には中国の唐時代の革製の甲冑を身につけた武将風の姿で表されており、勝負事や金運財宝、商売繁盛の神様とされています。
毘沙門天の真言は「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ」になります。
所沢七福神めぐりについて
所沢七福神は令和元年を記念し、市民の生活に福運とうるおいをもたらそうと開場された霊場となります。
発案者は、所澤郷土美術館の館長である、平塚宗臣(そうじん)さんです。
「所沢七福神めぐり」は、所澤郷土美術館の平塚宗臣(そうじん)館長が、所沢の豊かな自然、歴史を物語る史跡・名所・寺院を地域振興に役立てたいと5年前から練っていた構想。
令和の改元を契機に平塚さんが指揮を執り、7つの寺院の住職と檀家総代が一丸となって準備が始まりました。
平塚さんは「コースには平安、鎌倉、室町時代から続く古刹が並んでいます。七福神のご利益や所沢の自然とともにお楽しみください」と話します。
所沢市内の代表的なハイキングコースである「八国山・荒幡富士コース」が採用されており、そのコース上にある七つのお寺に新しく七福神を招いてお祀りされています。
巡礼と共に、所沢の自然豊かな景勝地も楽しめるものとなっておりますよ。
所沢七福神めぐりの開催期間、総距離、所要時間は?
出典:http://www.tokoro-kankou.jp/7fuku.html
所沢七福神めぐりもできる「八国山・荒幡富士コース」は、行程約10㎞です。
どの区間も1km前後の道のりとなり、休憩時間も含みますと、およそ4時間程かかるそうですよ。
開催期間は通年となりますが、開所時間は午前9時~午後16時となりますので、時間に余裕を持って巡礼をしましょう。
注意!御朱印は有料でお釣りが出ない!?
御朱印は書き置きとなり、各寺院とも1枚300円となります。日付は空白となっておりますので、後で自分で書き込むものとなります。
御朱印代は、拝殿前の賽銭箱や備え付けの箱に納めましょう。
また、どの寺院も無人対応のため、お釣りが出ません。予め小銭を用意しておく必要がありますので、その点ご注意くださいませ。
所沢七福神めぐりのルートと各寺社の紹介
所沢七福神めぐりの順路ですが、西武鉄道所沢駅をスタートとして、
第一番札所 持明院(じみょういん)、恵比寿天
https://kousakikanae.com/2171/
第二番札所 長久寺(ちょうきゅうじ)、大黒天
https://kousakikanae.com/2173/
第三番札所 佛眼寺(ぶつげんじ)、福禄寿神
https://kousakikanae.com/2175/
第四番札所 永源寺(えいげんじ)、弁財天
https://kousakikanae.com/2177/
第五番札所 光蔵寺(こうぞうじ)、寿老人
https://kousakikanae.com/2179/
第六番札所 本覚院(ほんかくいん)、布袋尊
https://kousakikanae.com/2181/
第七番札所 海蔵寺(かいぞうじ)、毘沙門天
https://kousakikanae.com/2183/
ゴールを西武鉄道下山口駅とする。
こちらがモデルルートとなります。
所沢七福神めぐり、まとめ
私も実際に歩いてみましたが、ハイキングコースがそのまま利用されているため、特にこれといった難所もなく、ウォーキング感覚で楽しめました。
また、第六番札所本覚院から第七番札所海蔵寺の途中には荒幡富士があり、晴れた日には富士塚の頂上から富士山がきれいに見えます。
時間の都合上、今回は立ち寄りませんでしたが、他にも将軍塚や、久米水天宮、鳩峰八幡神社(周辺の森林はトトロの森2号地と呼ばれているそうです)、いきものふれあいの里センター、などなど見どころがたくさんありました。巡礼を何回かに分けて、観光するのも良いと思います。
長閑な風景を楽しみながら、リラックスして歩けたと思います。ただし、道中歩道が狭くなっているところも多々あったため、徒歩での巡礼は車や自転車にお気を付けください。
また、トイレ休憩ができるところがなかなかありませんでした……。道中は水分補給とのバランスを考えながら進む必要があると感じました、道中コンビニを見つけたら、念のためお借りすると良いですよ。
ここまでお読みくださり、誠にありがとうございます。
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